フロント 2010年1月30日

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人生悠遊すてきな帽子作り

私と帽子の出合いは、物心ついたころ。母が外出時に必ず私の頭に帽子をかぶせてくれたものでした。当時(1931年ころ)の幼稚園には、制帽はなかったけれど、園児は帽子をかぶっていました。通園途中、道で行き会う人に「かわいらしいね。よく似合ってる」と言われ、はにかみながら歩いたものでした。

小学校から女学校卒業まで日本は戦時下で、帽子どころではない時代となりました。戦後間もなくポツポツと、新婚旅行にお出掛けの花嫁さんが、すてきな帽子をかぶる時代がやってきました。

そんなころ、小学校時代の仲良しの同級生が手作りのベレー帽をくださいました。私はとてもうれしくて、さっそくかぶって婚約者に見せにいくと「おっ! とてもよく似合うよ。君もこれから帽子をかぶるといいよ。暖かくてさ」。その優しい一言に気をよくして、さっそくもう一つ欲しいと足はデパートに。

「あの棚にある帽子を見せていただけませんか」「お買いになるなら取ってあげましょう」。冷ややかな答えでしたが、意を決して買うことにしました。値札を見ると「0」が一つ余計で驚いたものです。帽子は5、6年間大切にかぶりました。

60歳を過ぎてから英会話教室に通い始め、そこで机を並べていたのが親友の小出睦子さんです。彼女から「愛子さん、あなたも帽子お好きなようだから、一緒に帽子を作りましょう。教室を作るのに力を貸してよ」と相談されました。

東京で皇族方の帽子を作られ、指導していらっしゃる池宮和子先生が、10人ほど生徒が集まれば教室を開いてもいいというのです。それまで帽子は、自分で作るものでなく「買うもの」と思っていたのでびっくりしました。その後、小出さんの奔走もあって、生徒14人での開講となりました。

0130-01-02.jpg 自作の帽子をかぶる「帽子が大好き」な池上さん

帽子の制作では、色や素材や生地のことを常に考え、主に花や生物など自然から、色や形のイメージを見つけて帽子に生かします。デザインができたら制作は1、2週間、ほかのことはせずに集中します。出来上がると池宮先生に帽子を見ていただきます。先生の温かさと、手際の良さ。共に教室を盛り上げ、現在15年目を歩んでいます。

(作品と文・池上愛子)

池上愛子さん
1927年長野市生まれ、吉田在住。
週刊長野主催「高齢者作品展」に10回出品。 今年の同展にも出品予定。

フロント 2010年1月23日

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季節感添えるクレイアート

日本画の趣を引き立てるように、展覧会に合わせ、季節感を添えているクレイアートがあります。水野美術館で2月28日(日)まで開催の「寿(ことほ)ぎの美」展では、つぼに生け込まれた竹や梅、スイセンのクレイアートが、吉祥を表すびょうぶ絵に華やぎをもたらしています。

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日本画の「名脇役」として季節感を演出しているのは、平林シカイさん(67)=三輪=の作品。間近で見ても、生花と見まがうばかりのクレイアートは、文字通りクレイ(樹脂粘土)を素材とした芸術です。 平林さんは1981年から2年間、東京で食パンを粘土として用いるパンアートを学び、教授資格を取得。長野に帰郷後、公民館の講座などで指導を始めました。「人に教えることは責任を伴う。本物を知らないと怖くて教える気にならなかった」

時間を見つけては野山を歩き、咲く花をつぶさに観察。めしべ、おしべの付き方や花びら、枝ぶりを図面にするなど花を知ることに心を砕きました。自然にある花の姿に触れるにつれ、「与えられた命をあるがまま精いっぱい輝かせる野の花のとりこになった」と言います。

素材が高品質の樹脂粘土へと切り替わっていった91年、信州ならではの野の花を制作する「長野クレイアート」を立ち上げ主宰。クレイアートの魅力を多くの人に伝え続けています。

水野美術館での展示は2007年から。まな弟子の原由子さん(57)=須坂市=が協力して制作。昨年はヤマユリにササユリ、コスモスにリンドウなどの花々が飾られました。「生きている命を感じられる花を作りたい」。これからも平林さんと花との語らいが続きます。

(記事・中村英美)
(写真・小原晴雄)

2001年『粘土でつくる信州からの花だより万葉の短歌(うた)にのせて』を出版。11年春に水野美術館ロビーで長野クレイアートの展覧会を開催予定

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平林シカイさん

フロント 2010年1月16日

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プロダンサー目指し英国へ

昨年末、一人の青年が単身イギリスへ向かった。「プロダンサーになりたい」—。中学生のころからの夢に一歩近づいた彼は、あこがれを現実に変えるため、臆(おく)することなく前だけを見詰めている。

4年前、週刊長野の「ファミリーコーナー」で紹介したバレエ3兄弟の長男、高田樹(たつき)君(18)。昨年1月から2月にかけてスイスのローザンヌで開かれた、世界各国のプロダンサーを目指す者の登竜門「ローザンヌ国際バレエコンクール」で見事、入賞。「英国ロイヤル・バレエ団」研修生への道を、自らの手で切り開いた。

パリ・オペラ座などと肩を並べ、世界3大バレエ団の一つと称される英国ロイヤル・バレエ団。日本を代表するプロダンサーの熊川哲也さんがプリンシパル(主役)として活躍していたことでも知られる。1年間の研修後、実力次第で正式団員への道も開かれる。

「プロになるのは、そんなに簡単にかなう夢ではないと思っている。自分のレベルをもっと上げていかなくては」。過信することなく、冷静に自分を見詰めながら、「いつかはプリンシパルになれるように」、クラシックバレエの伝統と文化が息づく場で、たゆまぬ努力を続ける覚悟だ。

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小学1年の時、「女の子がやるものだから嫌だ!」と、気乗りしないまま何となく足を踏み入れたクラシックバレエの世界。練習後、ボーイズクラスのお兄さんたちと遊ぶのが楽しいので続けていたという。そんな少年が、コンクールに出るようになった小学3年の時、初めてバレエを楽しいと感じた。それからは生活の一部となり、重ねた努力と自信が「舞台で踊った時の気持ち良さは格別」と、その魅力を言葉にする。

コンクール、入賞、研修先決定と、昨年はとにかく「激動の1年だった」と振り返りながら、穏やかな笑顔を見せる高田君。これから先も、自分では想像できないような「激動の人生」が待っているだろう。

(記事・千野美紀)

0116-01-03.jpg 高田樹さん

プロフィル
1991年長野市栗田生まれ。98年、白鳥バレエ学園でバレエを始める。2006年、埼玉全国舞踊コンクールジュニア部で埼玉新聞社賞。09年2月、スイスローザンヌ国際バレエコンクール第8位。プリ・ド・ローザンヌ2009研修生賞受賞。4月、東京新聞社主催全国舞踊コンクールジュニア部3位。12月、プリ・ド・ローザンヌ研修生賞賞金を得て、英国ロイヤル・バレエ団研修生として入団

写真提供・白鳥バレエ学園

フロント 2010年1月9日

0109-01-02.jpg photo by:広川泰士

古民家で斬新な着物を制作

まだ仕立てていない自作の反物を、アドリブでモデルの体に巻き付ける。ほとばしる気迫に空気が張り詰め、やがて命が宿ったかのように布に表情が立ち上がり、人の体が強調される。着物作家・丸山正さん(58)の巻き付けパフォーマンスによる独自の表現は、ミラノやロンドンで高く評価された。

丸山さんの作る着物は、まるで地面から湧(わ)き上がってきたような深い色合いが美しい。そして粋な柄。その絶妙なバランスが着る人を引き立てる。

糸と織にこだわった紬(つむぎ)。信じられないことに、その高級な紬に傷や色を付け、灰や金属の粉を塗り、傷めつける。そうすることで、素材の持ち味がにじみ出て、気高く深みのある独特の風合いが醸し出される。

一昨年の紅白歌合戦で石川さゆりさんが着た衣装を手掛けた。芸能人や芸術家など多くの著名人に愛用される一方、一般の人たちも、たまたま立ち寄った展示会で買っていく。感動を与える着物を制作する丸山さん。ファンの裾野は広い。

まだ駆け出しのころ、漫画家の故赤塚不二夫さんに言葉を掛けられた。「作り続けなさい」と。以来、仕事にも遊びにも赤塚さんから大きな影響を受けてきた。そして、伝統からはみ出たにもかかわらず、買ってくれるお客さんが自分をここまで育ててくれたと思っている。

6年前、制作の拠点を東京・青山から長野市大岡に移した。立派なケヤキ柱の古民家と、北アルプスを望む美しい景観が制作意欲をかき立てる。斬新な着物と古民家は確かによく似合う。

大岡まで来られない人たちの中継地として、昨年12月、東京・麻布のマンション内にスタジオを開設した。そこでは、世界的デザイナーの高田賢三さんが「第1号のお客さま」となった。

今年は新緑の5月、大岡の古民家を会場に、着物の展示会と深草アキさんの秦琴(しんきん)演奏会を併せて開催する予定だ。

(記事・石井圭子)

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丸山 正さん
1951年大阪生まれ。大岡在住。67年関西二紀展入選。73年大阪芸術大学油絵科卒業。85年型絵染による着物を作り始める。2000年ミラノのギャラリーで個展。02年青山スパイラルで小池一子さんプロデュースによる個展、有楽町の日本外国特派員協会(プレスクラブ)で黒田征太郎さんとコラボ展。07年ロンドンで個展

フロント 2010年1月1日

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新年あけましておめでとうございます

                     週刊長野新聞社

四季の移り変わりの美しさに魅了されて撮影を続けてきた。山々から流れ出て豊かな恵みをもたらし、悠久の時を刻みながら滔々(とうとう)と流れる「水」の様相には特に心ひかれる。

近年は水の風物詩や人里離れた山あいの清流を求め歩き、その場に巡り合えた時の感動はひとしお。日増しに“水との対話”に充実感を覚えるようになってきた。

掲載写真の舞台は、高野辰之の故郷、中野市豊田地区の千曲川が緩やかに流れる魅力ある場所。高野が作詞した唱歌「故郷(ふるさと)」を思い出し、幼少時を回想しながら日の出を待ち、冬の朝の情景を切り取ったものである。千曲川の水面に朝日が煌(きら)めく様子はすがすがしい新年の幕開けを感じさせ、身の引き締まる思いがした。

(写真と文・坂口清一)
((社)日本写真協会会員)

フロント 2009年12月19日

1219-01-01-01.jpg みんな同じ夢の中 38×27cm

「酔書」「酔絵」で自分を表現

筆・墨・紙のそれぞれの味わいを楽しんでいる。私はお酒(日本酒)が大好きで、今もほろ酔い気分で書いている。単純にいえば、酔って書くから「酔書(すいしょ)」と呼んでいる。肩の力が抜け、手にした筆はスーッと、時にはググッと動く。快感!

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静かな努力は きっと
花が咲き 実が爆(は)ぜる

折々に感じたことを自分の言葉で書きたいと思っている。店(喫茶)でのお客さまとの会話や晩酌の時などにメモを取る。言葉の発見だ。ノートに書き写し、書く準備をしている。

晩酌をしている時も、突然書き始める。机の上にはいつも筆や紙などが置いてある。妻は「散らかっている」と言うが、自分にとっては「きちん」と整理がされているのである。書は自然体であっていい。書きたい時に書きたいものを書く。心も酔って「酔書」が出来上がっていく。

酔絵(すいか)はガラスペンなどで細かい線を描き色を着けるので、酔っては描けない。でも図案を考えたり、下描きする時にはお酒をいただいている。中学生のころからイラストが好きで、描いていたのが今につながっていると思う。うまく表現できたとき、最高の気分で筆は動き、心は躍る。

書(しょ)する、絵(か)することは、自分を表現する一つと思っている。作品の一つ一つは日常感じたことを記録する「人生の日記」でもある。

もう冬なのに芽を出して春の準備をしている庭の花を見て「あ〜かきたい」と血が騒いだ。これからもたくさんの日記をつづりたい。

(作品と文・町田明彦)

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プロフィル
1954年山ノ内町生まれ。松代町在住。3年前に脱サラし、喫茶・Gallery「象庵」を営む。北陸銀行長野支店ロビーや自店などで個展を開催。来年1月6日から第4回「酔書・酔絵展」を開催予定。問合せ/(電話)278・1188

フロント 2009年12月12日

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「三宅太鼓」に魅せられて

「ドドン、ドドン」という下打ちに乗って、「ドンツク、ドンドンツク」と上打ちの力強いリズムが刻まれる。腰を低く構えて脚力で体重を移動、満身の力で太鼓を打ち抜くスタイルは独特だ。太鼓の皮をうまく生かして遠くまで飛ばす音を出し、打ち手と聴衆の体の中に音を入れる。

三宅島伝統の「三宅太鼓」。世界的に活動する和太鼓集団「鼓童」が、演奏曲「三宅」として世界各地へ広めてきた。その原点となる太鼓のスタイルを「鼓童」に伝えたのが、三宅島の「牛頭天王祭」の太鼓係、津村明男さん(59)だ。

津村さんは「三宅島芸能同志会」を立ち上げ、単調で素朴なリズムを舞台演奏向けに突き詰めた。そこから、打ち込みの美学「三宅島神着神輿(かみつきみこし)太鼓」が生まれた。今は大噴火による全島避難を機に居住した八王子で、さまざまな三宅太鼓がある中、「本物を伝えたい」と講習を続けている。

「三宅太鼓長野愛好会」代表の永井寛治さん(57)=南千歳=は居酒屋を営む傍ら、三宅太鼓を「七福太鼓」の小林千喜(ちよし)さんに8年間ほど師事。昨年5月「同志会」の講習に参加し、津村さんの太鼓に出合った。

「これだ!」と思い、全国各地で行われる同志会の講習を巡り、昨年末、同志会の許可を得て長野愛好会を立ち上げた。現在会員は、小学生から60代まで13人。今年から津村さんを長野に招き、全国から参加者を募って2回の合宿を開催。リズムはシンプルだが奥が深く、人の心に響く音を目指して練習を重ねている。

愛好会は11月22日、もんぜんぷら座で行われた「和太鼓衆呑舞楽鼓(どんぶらこ)結成5周年記念コンサート」にゲスト出演した。太鼓と木遣(や)りの響きに会場からも「わっしょい」の掛け声が上がった。三宅太鼓は組太鼓と違って「個の美」があり、打ち手が主役になれる。一つの太鼓を入れ替わり、次々に打つ。聴衆は心を揺さぶられる太鼓の音に酔いしれた。

1212-01-02.jpg 木遣りを歌う永井さん

「八丈太鼓、石川豊年太鼓とともに最も素朴な太鼓。基本となる打ち方の伝統を守り、大勢の人と『本物の神髄』を学んでいきたい」と永井さん。要望がある場所へ出向いていく。

(記事・岩崎弘枝)
(写真・森山広之)

1820年、三宅島から4人の村人が伊勢参りに出掛けた。その足で京都祇園(ぎおん)祭を見て、島にも何か祭りを−と、神着地区の夏祭り「牛頭天王祭」が始まった。三宅太鼓は祭りの神輿(みこし)と木遣(や)りを先導するときの郷土芸能。祭りが始まる11時から、神輿が宮入りする20時まで打ち続けられる。

フロント 2009年12月5日

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「上手な歌手なんてたくさんいる。私は優しい歌い手になりたい」=南千歳町のZAZAで

客を魅了 シャンソンの歌声

一言、一言、音に乗せて語り掛けるように歌う市内在住のシャンソン歌手・汐入規予(きよ)さん(33)。音楽大学在学中からプロとして活動を始め、10数年になります。

「歌手になりたい」とか「子どものころからの夢だった」ではなく、汐入さんにとって、歌うということはごく自然な、息をするように当たり前のことだったと言います。

篠ノ井西中学時代からボイストレーニングを始め、音大では声楽・オペラを専攻していましたが、次第にジャズやシャンソンの表現に魅力を感じるようになりました。

22歳の時、渋谷のシャンソニエ(シャンソンの聞けるライブハウス)で認められ、レギュラー出演するようになり、都内や横浜を中心に活動してきました。地元長野に戻ってからは、市内のライブハウスや県内外のイベントに出演しているほか、都内の老舗シャンソニエなどにも出演。ボイストレーナーとしても活躍しています。

今年はジャズギターの巨匠・吉田次郎さんの北九州門司港でのソロライブにゲスト出演しました。

シャンソンの一番の魅力は歌詞にあります。人生を歌ったものが多く、その歌詞を小説や詩を朗読するように歌い、感性に任せ自由に表現する汐入さん。「聞いた人が自由に解釈しイメージして、自分だけの世界に浸ってもらえたらうれしい」と言います。

歌は、歌う人の人柄、人格、生き方、経験などが表れるので、日ごろから芸術を鑑賞したり、美しい自然に触れたり、さまざまな経験を積んで精神力や感性を磨く努力をしているそうです。「ライブではお客さまや主催者が、大切なお金を払って貴重な時間、場所を私に与えてくださっています。 1分1秒を大切に、神経を集中して、感謝と音楽への尊敬の気持ちを忘れずに歌いたい」と汐入さん。

さらに「大切なものや小さな幸せを忘れないように、愛を持って生きていきたい」。そんな思いを伝える温かい歌声が、聴く人を魅了しています。

(記事・和田章世)
(写真・森山広之)

今後のライブ予定
12月7日(月)赤坂バルバラに初出演。8日(火)長野BLASE定期ライブのほか、19日(土)ZAZA(しまんりょ小路)でクリスマスコンサート、28日(月)GROOVY(北石堂)で2009年歌い納めなど。そのほかのライブはHPで。
※11月に塩入規予から汐入規予に改名。

フロント 2009年11月28日

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一家で健やかな成長願い

境内の赤く色づいたケヤキの巨樹のこずえから、柔らかな秋の日差しが差し込む。うららかな日和に恵まれた11月15日、吉田神社(長野市吉田)で恒例の七五三大成祈願祭が行われました。

祈願家族22組の中の1組、赤澤輝紀さん(42)=吉田4=一家は、7歳になる菜摘(なつみ)さんの健やかな成長を願い、4世代の家族が全員で参拝に訪れました。最年長で92歳のみつえさんは車いすで久しぶりの外出。ひ孫のお祝いに目を細め、表情も晴れ晴れとしていました。

祖父母と共に祈願する家族はほかにも多く、境内には笑顔があふれていました。子どもたちは慣れない着物を何とか着こなし、父母やきょうだいと顔を見合わせたり、さまざまなポーズを取って記念撮影をする姿が見られました。

1128-01-02.jpg 姉妹仲良く七五三 小林愛ちゃん(3)と侑起ちゃん(7)

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千歳飴を手に持ち「バンザーイ」のポーズ 小松弘季君(5)

1128-01-04.jpg 笑顔がかわいい 宮澤美那ちゃん(3)

この日は、地元吉田の町おこしボランティアグループ「吉田お祭り講」のスタッフが、祈願家族の受け付けや駐車場の案内などをお手伝い。講長の反町(そりまち)洋三さん(60)は「地域の子どもたちの健やかな成長を見守りながら、吉田の町が明るく楽しくなる町づくりの手助けができて何より」と話していました。

祝福に満ちた穏やかな一日。青く澄んだ空には時折吹く風で錦の葉が舞い上がり、そうこうするうちに地面は晩秋の彩りに覆われ、和やかで平安な時間が過ぎていました。

写真と文・阿部宗雄
(日本写真家協会会員)

フロント 2009年11月21日

1121-01-011.jpg 創作紙粘土人形 「収穫」(高さ約50cm)

童心の写し絵  紙粘土人形で 

9月に催された県工芸美術会創立展で、篠ノ井の鳥羽桂子さんの創作紙粘土人形作品「収穫」が入選しました。半年かけて完成させた力作です。

晩秋の北信濃は、もうすぐ冬支度。大根を引っこ抜いて尻もちをつくおじいさん。「あらあら、デッカイね」とおばあさん。場面からは、収穫を喜ぶ老夫婦の笑い声が聞こえてくるようです。

バックの水彩画は、鳥羽さんが尊敬する故・麻沼和男さんが描いた飯山市を流れる千曲川の風景です。胸をはだけたおじいさんの骨格や筋肉、動きのある手足をいかに表すかが「一番悩んだところ」と言う鳥羽さん。“裸体の基本”は戸隠在住の彫刻家・桑田弘雄さんに厳しく指導を受けたそうです。

ひところブームだった創作紙粘土人形に出合ったのは30代後半でした。3歳の時に父が戦死。女手一つで農作業をしながら育ててくれた母・うき子さんは、大切な着物をほどき、人形をたくさん作ってくれたそうです。幼かったころの遊びのシーンがよみがえって、帰る場所を見つけた思いの鳥羽さんは3年間、カルチャースクールで夢中で学びました。

以後は独自で創作の世界を展開。1991年、新日本美術院展で受賞したことが励みとなり、バルセロナ市民栄誉賞を受賞しスペインへ。亜細亜美術招待展や長野冬季オリンピックメーンプレスセンターにも出展。近年は漫画家・西沢まもるさんら仲間で「あさぼらけ展」を開催。出品した「源氏物語」「川中島合戦」「アラビアンナイト」は、紙粘土人形とは思えないリアルな表現と、1メートルほどもあるビッグなサイズが見る人を驚かせています。

今回の郷愁あふれる作品には、色あせることのない鳥羽さんの“来し方”の風景が込められ、まるで童心の写し絵のようです。

(作品・鳥羽桂子)
(記事・松原京子)

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鳥羽桂子さんプロフィル
1942年長野市生まれ。篠ノ井在住。青山寿、原田仟二、桑田弘雄各氏に師事。88年人形作家として独立。新日本美術院賞・東京都教育委員会長賞(新日本美術院展)、信州新町美術館長賞・バルセロナ市民栄誉賞(新陽展)。信学会シルキースクール講師(94年まで)。市南部働く女性の家講師(2000年まで)。信州アンデパンダン展25回・あさぼらけ展5回出品。ギャラリー・パフィン主宰。※寺島酒店(北長野駅前)特設ギャラリーでのミニあさぼらけ展に展示中。